記憶の底に 第2話 |
「今日から復学する事になりました。枢木スザクです」 この日、1年前に知り合った友人であるスザクが復学した。 1年前に彼が入学した時は名誉ブリタニア人の1兵卒で、どうして入学できたのか不思議だったが、その後ユーフェミア皇女殿下の専任騎士となったことから、その時には既に騎士見習いとなっていたのだろう事は推測できた。 今はあのブラックリベリオンで主であったユーフェミア皇女殿下を亡くしたため、皇帝の騎士、ナイトオブラウンズ、ナイトオブセブンに席を置いていた。ブリタニア人以外がラウンズとなるのは異例で、主を亡くした騎士が任命される事もまた異例だった。つまりスザクのその高い能力を認められていた結果だろう。このまま埋もれさせるには惜しいと、第7席が与えられたのだ。 久しぶりに見たスザクの顔は、あの頃と違い精悍さが増してはいるが、どこか疲れているようにも見えた。 「久しぶりだな、スザク」 「久しぶり、ルルーシュ」 近くに来たスザクと、たわいのない挨拶を交わす。 スザクは顔に笑みを浮かべてはいたが、やはり疲れているのか目は笑っていなかった。まるで何かを探るような視線。 貴族でも無い植民地の人間が皇帝の騎士となったのだ。ブリタニア人が騎士になるよりも障害は多いだろうから疲れるのは当然の話だし、周りを警戒する事が癖になっている事もまた当然だった。 この1年、心安らぐ時など無かったに違いない。 だが、ジノと同じく日本の任務なら、また心から笑えるようになるのではないか? そうなってほしい。 だってスザクの笑顔は・・・笑顔は? そこまで考えて俺は思わず眉を寄せた。 ・・・喉が渇いた。 強烈な渇きが再び襲ってきて、思わず眉を寄せた。 まだ授業が始まったばかりだから、水を口にするわけにはいかない。 だが、スザクを見てから、あの夏の日の暑さがじりじりと身を焦がしていた。 あの夏の友人はジノであってスザクではないのに。 どうして、あの日を思い出したのだろう。 ああ、暑い。 喉が、渇く。 やはり俺は何処か体に異常があるのかもしれない。 この強烈な渇きから逃れるため、俺は無意識にジノ、ロロ、そしてスザクの事を思考から切り離した。 授業が終わり、皆スザクの周りに集まり始めた。 あのブラックリベリオンの後、この学園の生徒、教師はほとんどが入れ替わった。 生徒で残ったのなど、生徒会のメンバーぐらいだろう。 それほどの恐怖を黒の騎士団は植え付けて行ったのだ。 この学園を作戦本部としたことで。 だから、スザクに群がっている生徒たちはスザクとは初対面だ。 ナイトオブラウンズのナイトオブセブン。 1学年下にスリーのジノがいるが、それでもやはり皇帝の騎士は本来であれば一般人が会う事さえできない相手だ。 皆興味しんしんと言う顔でスザクに質問を投げかけていた。 スザクは疲れているのだからと言いたいが、去年スザクに行われていたいじめを考えるなら、あの頃よりずっといいかとも思う。 ジノともそれなりの関係を築いているようだし、今度何かあればジノが動くだろう。 子供のころから正義感がやたらと強い奴だったから、イジメを見かけたら必ず・・・。 そこまで考えた時、喉に渇きを覚えた。 じりじりと身を焦がされるような暑さも感じ、俺は鞄からペットボトルの水を取り出すと、この渇きをいやすために一気に煽った。 「ルルーシュ、またかよ?ホント治らないなそれ」 あの人の輪に入る事を諦めたリヴァルが、そう言いながら前の座席に腰掛けた。 「・・・ああ。どうしても喉が渇くんだ」 俺が水を飲む光景は既に当たり前となっていて、気に掛けるのはリヴァル達生徒会メンバーくらいだ。 「ルル。水も飲み過ぎは体に悪いんだよ」 シャーリーもこちらに来てそう注意してくる。 「解っているんだけどな。どうにもならなくて困っているんだ」 このやり取りはほぼ毎日行われている。 言っても仕方ない、言われても仕方がないと互いに理解していても、やはり心配し口に出してしまうのだろう。 「なあ、やっぱり病院で診てもらった方がいいんじゃないか?」 「そうだよ、何処か悪いのかもしれないよ?」 「大学病院で見てもらったが、異常は無かったんだ」 そうだ。以前有名な大学病院で検査入院をしたが、何も見つからなかった。成長期で体調が不安定なのかもしれないとか、一時的なものでしょう、とか、精神的な、とか。そんな回答ばかりで薬すら処方されなかった。 医師が出した結論は、時間が解決すると言う物。 そうだ、そうだった。 俺の体はどこも悪くない。 その答えが出ているのに、どうして俺は不安に? そう思いながら、俺は再び水を口に含んだ。 放課後の生徒会室では、留年し、学園に残っていたミレイが、スザクの復帰に大はしゃぎしていた。 「それにしても、ナイトオブラウンズのスリーだけでなく、セブンまでこの学園に来るなんて、凄い事よねってことよねぇ」 「祭りはやりませんよ。前回ので予算オーバーしているんですから自重してください」 この言い方は間違いなく次の祭りの宣言をするときのもの。 お祭り娘が騒ぎだす前に、俺は素早く釘を刺す。 「何言ってるのよ。我が生徒会のスザクくんが皇帝陛下の騎士になったのよ?盛大にお祝いしなきゃ!」 「駄目です。やるなら生徒会内だけでやりましょう。俺たち以外は皆スザクと初対面なんですし」 俺はそう言いながら水を口に含む。 皆と同じく紅茶を飲みたいところだが、利尿作用のある飲み物は余計に喉が渇くかもしれないと現在禁止されているのだ。 「・・・ルルーシュ。君さっきも水、飲んでなかった?」 俺の隣の席についたスザクがそう聞いてきた。 その視線は、まるで何かを探るように冷たいものだった。 「ああ。どうにも喉が渇くんだ。まあ、気にしないでくれ」 「まだ治らないの?もしかして頭痛も?」 先ほどまでの探る視線から一転、心配だという色を瞳に乗せ、そう聞いてきた。 だが、その言葉に、何か引っかかるものを俺は感じた。 「喉は渇くが頭痛は無いな?スザクが居た頃から俺はこうだったのか?その頃は頭痛も?」 そうだっただろうか?覚えていない。 「え?ああ、うん。僕が居た頃は頭痛も酷そうで、辛そうだったよ?そうか、今は頭痛はないんだね」 一瞬動揺したような反応をし、目をそらされたのは気のせいだろうか。ラウンズとなったことでスザクに何か変化があったかもしれないから、まあ気にする必要はないだろう。 「・・・そうか、あの頃、頭痛もあったのか」 そうだっただろうか。 この渇きがいつからだったか覚えていないが、それは頭痛が関係していたのだろうか。 頭痛がひどくて思考が停止していた時期があったのだろうか。 解らない。 ああ、喉が渇く。 俺は再び水を口にすると、スザクは眉を寄せた。 「流石に飲み過ぎだ。お腹壊すよ?」 そう言うが早いか、俺の手からペットボトルを取り上げる。 「スザク」 非難するように名を呼ぶが、スザクは呆れたように首を振った。 「駄目。これ以上は体に悪い。飲むならもう少し時間おいてからにしよう」 そういうと、俺の手の届かない所にペットボトルを置いてしまう。 「大丈夫だ。今日はいつもよりは飲んでいない」 「いつもよりは?いつもはもっと飲んでるの?」 驚いたような口調で返され、俺は余計な事を口にしたと、思わず眉を寄せた。 「・・・少しだけな」 詰問するような強い視線。 なんだろう、その目を見ていると嫌な事を思い出しそうで、思わずスザクから視線をそらし、そう口にする。 「嘘おっしゃい。ルルちゃんはいつもそのペットボットルを1時間に3本以上、時には5本は飲むわよ」 今日は2本目だから、確かにいつもより少ないわね。 「え?5本!?ちょっと君、飲み過ぎだよ!5本って2.5リットルじゃないか!それを1時間で!?」 ちっ、余計な事を。 スザクはミレイの話を信じ、俺を心配するように眉尻を下げてそう言った。 「大丈夫だよ、医者にもかかったがどこも悪くない。そのうち収まるから、水中毒にだけ注意するよう言われているんだ」 と言ってもスザクが居た頃からならもう1年以上か。 長いと思うが頭痛が無くなっているなら、これもそのうち無くなるだろう。 そうであってほしい。 「・・・それならいいけど。でも、飲み過ぎは駄目だからね」 叱るような口調でそう言うから、俺は思わず苦笑した。 「解ったよ、飲み過ぎないように気をつけるよ」 「またそう言って。ホントは解ってないだろ」 鋭いな。 「そんな事は無いよ。そうだな、今日から量を減らすため、水を持ち歩くのをやめよう」 「嘘ばっかり。水を隠しておいて、こっそり飲むつもりだろ?駄目だよそんなやり方」 この学園内だけの短い期間のつきあいで、俺の行動がよく解るな。 ジノ以上だと俺は思わず苦笑した。 「わかった、わかった。本数を減らす努力はするよ。でも、今まで1年以上こうやって飲んでいて特に問題は無いんだから、そう心配しなくていいだろう?」 「今まで大丈夫だから、今後も大丈夫とは限らないだろ。それに僕たちは友達だろ?心配したら駄目なのかな?」 その問いに、俺は一瞬言葉を無くした。 理由は解らない。 でも、スザクの言葉に俺は安堵を感じていた。 理由はわからないが、俺の中の何かが癒やされた気がする。 なんなんだ、一体。 軽く混乱をしながらスザクを伺うと、本当に俺を心配しているという表情をして、俺の返答を待っていた。 「・・・いや、そうだな。1度に飲む量を減らして調整してみるよ」 するりと言葉が出た。 この場をしのぐための嘘では無く、本当にそうしようと思ったのだ。 スザクはその事が解ったのだろうか、今度はこの言葉を否定しなかった。 「1時間に多くて1本。それ以上は駄目だよ。あと1日に3リットル以上は飲まない事。それと1度に飲む量は・・・」 「解った、解ったよスザク。ちゃんと考えて飲むから」 軍の規律の中で育ったせいだろうか、事細かに指示を出そうとするスザクを慌てて静止し、降参だという様に、俺はそう口にした。 ホントに?と、言いたげな目で見るスザクに、苦笑するしかない。 「そんなに俺は信用ないのか?」 「信用があったら苦労はしないよ。ホントに駄目だからね?どうしても喉が渇くなら、飴玉とか舐めるのもいいんだよ?」 「飴か。今度試してみるかな」 「うん。試してみて。ああ、でも甘いものばかりだと虫歯になるからね。甘いのが駄目ならガムも試してみて」 「ああ、どちらも試してみるよ。ありがとう、スザク」 何でもない、他愛のない会話。 俺はこの時、この異様な渇きが消えていた事に気づかなかった。 |